それではシネマナビ・ブログにおいて2012年8月23日に掲載した<「アベンジャーズ」がマーベル最高作品となった10の理由はこれだ!=前編>を永久欠番化したい。
第2作で頓挫してしまったマーク・ウェブ監督/アンドリュー・ガーフィルド主演版の「アメイジング・スパイダーマン」シリーズに代わり、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」でM.C.U.に組み込まれた再々リブート作「スパイダーマン:ホームカミング」が、ジョン・ワッツ監督/トム・ホランド主演でいよいよ今年の夏に全米公開予定だ。
さて、サム・ライミ監督/トビー・マグワイア主演版の「スパイダーマン」を除き、日本では50億円超えのメガヒットを生み出すことができなかったマーベル・スタジオだが、公開8週目を迎えても、サム・ライミ版の半分はおろか30億円超えという最低線のノルマすら果たせなかった「アメイジング・スパイダーマン」に対して、ようやく「アベンジャーズ」でこの壁を破ったものの最終的には36億円という期待外れの興行成績に終わった。
いずれにしても、2012年のサマーシーズンの日本での映画興行は、「海猿」最終作の圧勝(73億円)で終わり、こちらもフジテレビ系のメガヒット・シリーズである「踊る大捜査線」のキャッチフレーズを真似ると、海猿のファンの方々は、「ハリウッドの山猿たちよ、これが日本映画だ」と溜飲を下げたと思う。
その気持ちは、私も十分理解できるし、「アベンジャーズ」の日本での公開に携わった日本人スタッフたちには、「それ見たことか」と言いたいくらいだが、エンタテインメントの作品の質から見た場合、どちらに軍配を上げるべきだろうか。
これまで観続けてきた海猿シリーズだったが、最終作の「BRAVE HEARTS 海猿」はスルーしたので、客観的に比較する資格が私にはないが、少なくとも興行面では予想外の特大ヒットとなった前作「THE LAST MESSAGE 海猿」や、第2作「LIMIT OF LOVE 海猿」の出来はお粗末と言わざるを得ず、この2作に比べれば、「アベンジャーズ」の方が上であると思う。
だが、この判定には、「ダークナイト ライジング」の記事で書いたような留保条件が付く。
そう、本作の影のヒーロー、フィル・コールソンが死んだというのはニック・フューリーの嘘で、実は彼は生きているということが続編で明らかになったら、減点となると考えたが、この予想は的中し、やはりマーベル・コミックの世界では何でもありだった。
せいぜい、原作コミックでは他人に変身可能な能力を持つというソーの弟ロキが、「マイティ・ソー」や「アベンジャーズ」の続編でコールソンに化けて登場し、S.H.I.E.L.D.のエージェントの誰かを欺くぐらいの展開なら許せると考えたのだったが…。
前置きはこの程度にして、前回の序論で示した順に「10の理由」を解説していくことにする。
ただ、前・後編の2回ではなく、3分割の記事とし、その代わりにボーナス・トラックとなる追加項目をサービスすることにしたい。
【理由①=アクションのビジュアル力と群像劇の才能がある新鋭監督を抜擢】
今回、「アベンジャーズ」の監督に抜擢されたのは、ジョス・ウェドン。
劇場用映画の監督としては、日本では未公開(ブルーレイ/DVDは発売)の「セレニティー」(2005年)のみの実績しかなかったから、私も含めて、監督としての彼の手腕はもとより、名前すらも知らなかった映画ファンが当時は多かった。
ハリウッドの映画人として彼は、これまで主に脚本家として活躍し、「トイ・ストーリー」(1995年)や「エイリアン4」(1997年)などのメジャー作品の脚本を手掛けてきた。
そんな彼が、マーベル・スタジオの命運を賭けた大作の監督に指名されたのは一見、意外な感じがしたが、こうした抜擢は、アメコミ作品の映画化に限らず、近年の特にアクション系の大作を中心とする話題作・人気シリーズに新たな活力と魅力を注ぎ込むためによく用いられているハリウッド流の映画製作手法である。
その背景には、日本映画と違って、大きな力を持つプロデューサーが広く関連業界も含めて有能な人材をウォッチし、柔軟な姿勢で起用するということが行われているからだろう。
近年の実例を挙げると、マーベル・スタジオの作品としては、前述の「アメイジング・スパイダーマン」のマーク・ウェブだ。
当時既に30歳代後半だったマークの長編デビュー作は「(500)日のサマー」であり、佳作と評価されたラヴ・ストーリーの小品だった。
一方、「マイティ・ソー」の監督は、私も驚いたシェイクスピア劇の名優として知られたケネス・ブラナーという意外な人選だった。
これらに対して、スパイ・アクションの老舗的なシリーズ「007」の2012年11月に公開された「スカイフォール」の監督は、「アメリカン・ビューティー」(1999年)でオスカー監督だった。(最新作「スペクター」でも続投)
前作「慰めの報酬」(2008年)の監督は、当時38歳のマーク・フォスターであり、彼のそれまでの代表作は、「チョコレート」(2001年)や「ネバーランド」(2004年)、「君のためなら千回でも」(2007年)といった畑違いの作品ばかりであり、私にとってかなり意外な起用であった。
さらには、「ミッション:インポッシブル」シリーズの第4作「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」では、プロデューサーも兼ねている主演のトム・クールズは、「Mr.インクレディブル」(2004年)と「レミーのおいしいレストラン」(2007年)の長編アニメーション作品の監督として2度のアカデミー賞の受賞に輝くブラッド・バードを起用した。
これらの監督がアクション大作の監督に起用された理由は様々だが、それぞれの能力が生かされたこれまでの作品にはない魅力を発揮している点が共通していたと思う。
これこそ、ハリウッドの活力の源として高く評価すべき点であり、日本の映画界にはない強みだ。
第2作の公開が待たれる「プロメテウス」の監督であるリドリー・スコットや、「エイリアン3」の監督として抜擢された時には酷評する向きが多かったデヴィッド・フィンチャーといった、今やハリウッドを代表する巨匠監督の仲間入りをした人物も、元々は周辺分野からの転入組だった。
翻って日本映画界においては、NHKを含めたテレビ放送会社の社員でもあるドラマのディレクターが映画監督を務める例が主流の1つとなっている。
宇多田ヒカルさんの元夫である紀里谷和明さんのように、周辺分野の人材が日本映画界で活躍することへの障壁は今なお小さくないと感じる。
さて、「アベンジャーズ」に話を戻すと、ジョス・ウェドン監督は、大のアメコミ・ファンであり、「アベンジャーズ」の各キャラクターの特性を短所も含めてどう発揮させればドラマとしての面白さや魅力を高めることができるかのツボをきちんと押さえることができたと思う。
また、本作の脚本も独りで手掛けるに当たって、これまでの脚本家として培ったストーリーテリングの才も示したと言えよう。
さらには、この2点に関わることであるが、群像劇の処理の上手さだろう。
そんな監督が、試行錯誤しながら自分のスタイルを臨機応変な姿勢で変えたのが、クライマックスのニューヨークを戦場に見立てた大バトル・シーンのようだ。
だが、この初挑戦となるスペクタクル・シーンの画面づくりの面でも、合格点を与えることができる仕上りとなっていることから、「アベンジャーズ」の成功の功績は、一にジョン・ウェスドンにあり、二に一連のマーベル作品を手掛け、ジョンを起用したプロデューサーのケヴィン・ファイギにあると言いたい。
ところが第2作の「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」の監督と脚本も手掛けたウェスドンに替わって、第3作と第4作の監督をアンソニー・ルッソとジョー・ルッソが担当することになった。
だが、心配する必要はまったくない。
「序論」で書いたように、2人が監督した「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」と「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」が、M.C.U.の一連の作品中最高レベルの出来だからだ。
【理由②=単独主役作が映画化されたヒーローのみにメンバーを限定し、新キャストも適任】
私と違ってマーベル・コミックのファンである方たちはご存知のように、原作の「アベンジャーズ」でのチーム構成と今回の映画版のメンバーの顔ぶれは異なる。
だが、これまでに実現した単独のスーパーヒーロー作を前史と位置づけ、そこに登場したスーパーヒーローのみで第1段階のアベンジャーズを結成することにし、映画初登場となるスーパーヒーローの起用を外したジョス・ウェドン監督の判断は正しかったと思う。
これは、マーベル・スタジオにとっても、過去のブルーレイ/DVDの販売やレンタルの増加の面でプラスとなるだけでなく、今後の単独ヒーロー作のセカンド・ステージの興行収入増加に少なくとも全米では貢献することになった。
なぜなら、チームのメンバーとなるスーパーヒーローの人数を増やせば増やすほど、各ヒーローがストーリーに占める重みも軽くなるし、新登場のヒーローに関する説明的な部分が多くなってしまう。
この点、既に単独作に登場したことがあるヒーローたちだけにメイン・キャラを限れば、予備知識を持つ観客を想定しながら、ドラマの側面を深めることができる。
ただ、この前提と立つ場合でも、ネックとなったのがハルクだった。
「アイアンマン2」と前後して公開された「インクレディブル・ハルク」でブルース/ハルクを演じたエドワード・ノートンが「アベンジャーズ」のハルク役を受けなかったからだ。
だが、結果的に、ノートンがオファーに応じなかったのは、禍転じて福となったと思う。
その理由は、まずノートン自身のイメージが、ハルクの容貌や気性とのギャップが大き過ぎることである。
この点、マーク・ラファロの方がピッタリだった。
サム・ライミ監督版のピーター/スパイダーマンを演じたトビー・マグワイアをはじめ、2000年代以降に映画化されたアメコミ・ヒーロー作品は、マーベル作品に限らず演技力に定評があるヒューマン・ドラマ系の俳優を次々と起用してきた。
その最たるキャスティングが、かつてアカデミー賞の主演男優賞にノミネート(この点はノートンも同じ)されながら、問題行動で俳優としてのキャリアを台無しにしかけたことがあるロバート・ダウニーJr.のトニー/アイアンマン役への起用だった。
もっとも、演技者としての拘りが強いノートンは、「インクレディブル・ハルク」の編集にも大きく関わり、影の監督を兼ねたという噂も流れ、結果として、同作は一連のマーベル作品の中でも異質な雰囲気を帯びることになり、DC陣営の「ダークナイト」的な作品となった。
「アベンジャーズ」の製作に当たってハルクを演じる俳優を変えたことによって、ハルクのイメージをオリジナルに近い思い切りのいいキャラとすることができ、ハルクへの人気が再加熱するとともに、「アベンジャーズ」の多様な面白さも生み出されたと言える。
加えて、元々、怒りで暴走しないために他人との接触を避けるというブルースの性格を逆手にとって、ガンマ線研究の第一人者として参加させるという展開にし、ハルクとしての活躍を後半に絞り込んだことも正解だったと思う。
そして、これに伴い、キーアイテムであるコズミック・キューブが微量のガンマ線を放出するという設定にするとともに、ソーとの関係からS.H.I.E.L.D.にスカウトされた理論宇宙物理学の専門家であるセルヴィグ博士をコズミック・キューブの分析・活用を行う研究者として再設定したことと相俟って、チョッとご都合主義的ではあるが、ギリギリ許される上手いアイデアとしてセルヴィグとブルースを結びつけることができた。
なお、その後、単独ヒーローやヒロインの人数はかなり増えており、この理由②は、「アベンジャーズ」の第3作以降には当てはまらず、特に日本の映画ファンにとっては大きなハードルになる可能性が高い。
【理由③=ヴィランを宇宙に求め、その背景に兄弟の確執と天空の超強力武器を設定】
特にDCコミック作品の「バットマン」以降、スーパーヒーローが対決するヴィランとして何者が登場するかが話題となってきた。
だが、これは本国アメリカにおけるアメコミ・ファンの一番の関心事であり、アメコミを読んだことがない日本の映画ファンにとっては二の次の問題であった。
私たちにとっては、ヒーローとヴィランのキャラの設定と演じる俳優、舞台となる都市が陥る危機の設定、ヒーローとヒロインとのラヴ・ストーリーとしての展開の方が、より重要な問題だった。
それが、アメリカと日本との間でアメコミ作品の興行成績が大きく乖離することになった理由であったと思うし、日本で「スパイダーマン」だけが大ヒットした主因であったのではないか。
この点、「アベンジャーズ」においては、スーパーヒーローたちが結集するドラマであるから、これまでの各ヒーローの単独作のように、ヴィランを誰にするかが大きな問題ではなかった。
スーパーヒーローが力を結集して臨まなければならないような宇宙規模での危機的な状況をどう設定するかが問題であった。
この点、ソーとキャプテン・アメリカの初登場作品において共通の武器として姿を見せたコズミック・キューブを「アベンジャーズ」のキーアイテムとして利用したのも、無理のない合理的な設定であったと思う。
一方で、単独ヒーロー作品においては大きなウエイトを占めたラヴ・ストーリーの色彩は軽くしなければならない反面、人間ドラマの側面を持たせるために利用することになったのが、「マイティ・ソー」のドラマの柱の1つとなったソーとロキとの兄弟として育てられた愛憎劇の後日談であった。
理由②と共に、この理由③の割り切りにより、群像劇としてのストーリーの基軸をシンプルにすることが可能となり、かといってドラマ性が希薄になり過ぎることも回避して、アクション・戦争映画としての盛り上げに専念することができたのではないか。
ただ、この展開の公式は、「アベンジャーズ2」でもう一度、使うことができなかった。
その意味でも、今回、伏線として散りばめた要素を、「アイアンマン3」を皮切りとする単独ヒーロー作品でどう膨らませ、それらを結びつけて、「アベンジャーズ2」に収斂させていくかが問題となったが、その結果は、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」で示されたところである。
〔ボーナス・トラック①=本作で武器が進化した登場人物は誰か?〕
前編の最後に、ボーナス・トラックとして各スーパーヒーローが使う武器がどうバージョン・アップされたかを見ることにする。
この点については、今回話題となったのは、アイアンマンのパワード・スーツがクライマックスでマーク6からマーク7にバージョン・アップされたくらいで、作品のセールス・ポイントにはなっていない。(マーク7で胸の光る部分が逆三角形から従来の円形に戻ったことに要注目。)
ハルクは、元々武器を持たないし、キャプテン・アメリカは、コールソンのデザインよりユニフォームがマイナーチェンジされたくらいで、シールドの能力は変わっていない。
ムジョルニアを持つソーや弓矢を得意とするホークアイ、武術と拳銃と色香を武器とするブラック・ウィドウも、基本的な戦闘能力は変わっていない。
むしろ武器の能力が一番パワーアップしたのは、ヴィランとなったロキだった。
今回、彼が手にする杖は「マイティ・ソー」の時とは別物で、宇宙をさ迷う間に手に入れた「コズミック・スピア」という強力な武器だった。
その名前に示されるように、コズミック・キューブを小さくしたような青く光る物質が杖の先端に付けられており、それが放出するエネルギーのビームで相手を洗脳することもできる。
だから映画の冒頭、そのパワーでホークアイとセルヴィグ博士が唯々諾々とロキの命令に従うことになったのだ。
今後の単独ヒーロー作でも、ヒーローたちの武器のバージョン・アップに頼るだけでは、観客に飽きられることになる。
どのような設定でヒーローを苦境に追い込み、武器だけに頼ることなく、ヒーローたちがヴィランに打ち勝っていくかが重要だ。
それと、ソーの故郷の星の宮殿にある「オーディンの武器庫」などに、コズミック・キューブとは別の、より強力かつ面白い(と言っては語弊があるが)宇宙レベルの武器としてどのようなものがあるかがポイントとなることがM.C.U.の続編で示されつつある。
to be continued